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1994年のF1日本GPの写真が出てきた!「F1ビジネス戦記」で当時を思う

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1994_f1japanGP

F1日本GPですね~。
カーさんが鈴鹿にF1を見に行ったのが1994年。
それが最初で最後のF1観戦となったのです。
たまたま当時撮影したF1の写真が出てきたので今回はF1のお話をしようかと思います。

1994年といえば、F1ファンには暗黒の年。
ラッツェンバーガーとセナが事故で亡くなった年。
中でも日本のHONDAと関わりの深いセナが亡くなった事はカーさんにとっては大きなショックでした。

今でもF1のTV中継で今宮さんが泣いているのを鮮明に覚えています。
もちろんカーさんも泣きました。

この年、会社のF1好きの面々とその友人達の大人数でF1観戦の計画が持ち上がり、チケットをゲットしていました。
もちろん、セナがなくなる前の計画で、まさかセナを見ることができないとは思ってもみなかったことでした。

当日は雨で130R手前で観戦。
本気のF1を見たかったのですが雨で、どのマシンも全開にはほど遠かったのが残念。
ところがジャン・アレジのフェラーリだけは感動のフェラーリサウンドを響かせ、他のマシンとは違うスピードで目の前を駆け抜けてくれたのが思い出されます。
もちろんV12エンジンだったこともあっての甲高い音だったかもしれませんが、大雨の中、異次元のスピードで駆け抜けたアレジのフェラーリ。感動しました。

実際にサーキットに行かれた方は分かると思いますが、山向こうでもどの辺にF1マシンが走っているのか、音だけで分かりますね。
上手くはいえませんが音が天に向かって柱のように響いているイメージ。
音の柱が移動してくるような感じがしたのを覚えています。鈴鹿の地形のせいかもしれませんが、そういう聞え方をしたという印象が強く残っています。

セナのいないF1でしたが、アレジのフェラーリ・サウンドに救われた1994年のF1観戦でした。

写真はスプーンに向かう途中で撮影したミカ・ハッキネンのマクラーレン・プジョー。
ペースカー先導中の時だったため何とか撮れた1枚。他は全滅です。
F1マシンを写真に撮るために友人のFDを走らせて何度も流し撮りの練習をしたのが思い出されます。
そんなF1ですが、それ以来、F1観戦に行っておりません。

そうそう、
この間、その時代のF1の裏話を書いた本を読みました。
「F1ビジネス戦記」という本です。

本書は、本社サイドからビジネスとしてのHONDA F1の活動を記した本でマクラーレンやウィリアムズとの契約交渉秘話や関係、もちろんセナのことについても描かれています。
ホンダのプロモーションでのセナや、ヘリを無免許運転した話など知らなかったセナの話が新鮮です。

もちろんセナの話だけではありません。

利権の絡むF1ビジネスでのタフな交渉の話、契約が全てのガッチガチのイメージのマクラーレンのロン・デニスが意外と契約以上の協力を柔軟にしてくれたりとイメージの変わる話がたくさん。
あの市販スーパーカー、マクラーレンF1にホンダ・エンジンが載らなかった理由、少年ジャンプがマクラーレンのノーズを飾るまでの難航する交渉の様子、ホンダのエンジニアがセナを叱り付けて泣かせた話なども書いてあり、当時の疑問が解消されたり、なるほどと思ったり、いろいろためになります。

興味深いのはセナ=聖書というイメージ。よく、その事についても語られていますが、始めからいつも聖書を携えていたワケではなかったことも書かれています。そのきっかけについても書かれていて、ああ、あのことか…とおっさん世代にはピンとくる話で、なるほどなぁと納得します。

こういうビジネス的側面から書かれた本は珍しく、読み終えて当時の疑問がかなり解決しました。
舞台裏の話はためになりますね。

さぁ今年のF1日本GP。どうなるのでしょうかね。
いよいよです。


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